くもりもよう

ブログ

最近良く目にする毒親というもの

2014.08.10

ちょこちょこ毒親の話題がツイッターから流れてて、気になっていたので少し前にこちらをKindleで購入。

私自身は毒親に育てられてはいなかったということは分かった。
もともとそういうふうに親を見ていたわけではないんだけども、どの程度を毒と言うのか、それがよく分からなかったんだよな。

ただ、どうにも変な親はいるらしいというのもツイッターから流れている分でなんとなく分かっていた。
家事全般を出来ないとと言う割に女の子らしいことをダメと言う、そういうのがあるらしいと。

この「母がしんどい」を読む限りは、他所のお母さんに対して失礼を承知で書くけれども、これはこの母親がおかしい。あと母の母と妹もおかしい(筆者から見て祖母と叔母ね)。全体的におかしい感じの家だと思った。よくこの母親と付き合ってこれたなと。

 

 

私の話。
三姉妹の長女。
親戚で集まった時に一度だけ、女の子だからってのでお酌して回ってというのを言われたことがあり、「何で私がやらなきゃならないの。自分で注いだらいいじゃん。」と即拒否をしたのは覚えている。この場合の「自分で注いだら」というのは飲む人が自分の分を注いだらいいじゃんってことね。私にお酌してきてといった人ではなくね。「めんどくさいし、飲む人が飲む量だけ注いだら一番良いじゃないの」って思っての拒否だったんだけど、子供ながらに女の人の役目だからってので言われてるのは分かったし、不快でもあった。結構小さい頃だった気がするんだけど、女の子はこうしないといけないってのが既に私には理解し難いことだったんかなと今になって思う。
そもそも、ウチも三姉妹だったし、いとこも三姉妹だったから、おんなばっかりだったんだよな。
男児優遇ってのもなかったというかやりようもなかったし。

母がやりたかったけど出来なかったので娘(私)にさせたことは「ピアノ」だけ。
幼稚園から週一回習ってたけど、つまらなかったし、上達も遅かった。小学校の音楽の授業で楽譜が読める分ちょっと楽になった程度。
今年実家に帰った時に「自分が習いたかったけど習えなかったからあんたに習わせたけど、嫌々やってたんで、そういうのはもうやめた」とは母から聞いた。
確かにその後の習い事は基本的には自分からやりたいと言ったものだったなーと。

あとは「お姉ちゃんなんだから」ってのも無かった。思い出せる範囲では無い。忘れてるのではありそうだけど、忘れてるって時点で大したこと無いものだったんだと思う。

てか、門限もなかったし、何か自由だったな。
大学だって一人暮らししたいよーってんで一人暮らしもしてみることが出来たし。
大学時代に私の部屋に来たことがあるのは母だけで、それも入学時と卒業時(どっちも引っ越しの時)だけだったなぁ。

遠いってのと、まあ信頼されてんだろうってのと、あったんだろうけど。
一応真面目人ですし。

 

 

それなのに、新卒就職できなかったどころか鬱引っさげて帰ってくることになったのは本当申し訳ないし、その後の数年間も医者行ったり相談窓口行ったりとか色々大変な思いをさせてしまったのが辛い。

結局、免許はあっても運転は無理な状態で車社会の地元では行きていけないし。親が運転できるうちはまだ送り迎えしてもらえるけどさ。いつまでもってわけにもいかんしな。それで、震災を機にまた大学時代住んでたところで一人暮らししてるけれども。

首都圏と関西だと家賃が1.5倍以上違うってのもあるな。大学時代の土地に戻ったのは。

 

 

まあ、たらたら書きましたが、私は結構恵まれて育てられていたってのを確認してしまうんだわ。毒親系の話を読むと。

また、読むことでそういう環境もあるのだと知ることが出来たのは良かったんだろうと思う。